第1章 はじめに(プロフィール&プロローグ)
はじめまして。東京ボルメッツに所属する志村俊明です。
一応、TA(トレーニングアシスタント)…って事になりますが、スローピッチをするまでコレと言ったスポーツ経験はゼロに等しく、コーチングに関して専門的な教育を受けたわけでもありません。(それなのに人によっては”コーチ”なんて呼ばれます)普段の仕事以外は、フツーの社会人となんら変わりありません。
いろいろな話をする前に、ここで私自身の事を書かせてもらいます。これからスローピッチをはじめてみようかな?と思う方に、このコーナーが何かのお役に立てればと願っているからです。
私はどうしようもない運動音痴でして、身体を動かす事はどちらかと言えば嫌いでした。体育の授業はやはり苦手でしたし、成績も通知表に”2”が当たり前でした。
徒競走は時には勝ちましたけど、大体負けていました。結局、中学校時代に50mで9秒を切るのが精一杯でした。体力測定でも平均よりかなり下、身体も硬くて立位体前屈は、いつも地面に手が付きません。
そんな私は小学校3年の時にリレーで足首を捻挫し、しばらくは怖さがあって走る事ができませんでした。しかし、いつまで経っても怖くて走れない自分自身に痺れを切らしたのもあり、ある日からは学校の休み時間に走るようにしました。
ある区間までは歩いているのかどうなのか解からないほどトロトロと走り、その区間だけは全速力で走るものでした。それを毎日毎日延々と繰り返す。雨の日でもやりました。誰に言われるわけでもなく、知らぬうちにインターバル走をしていたのです。次第に全速で、しかも少しでも距離を走ることができる喜びから、走ることを止められなくなった事がありました。
そこから走ることへの抵抗感こそなくなりましたが、基本的に部活やクラブ活動はインドア一筋。これと言って自ら進んで身体を動かす機会もなく、現在に至ります。
そんな人間がどうしてスローピッチをする様になったかと言いますと、登場時に「登場テーマが流せると言うのが最大の決め手」…と、なんとも不純なものです。(笑)
仕事柄、体調維持や健康管理は出来て当然と言われ、出来なければ多大な迷惑をかけてしまうので身体を動かす必要性はあったのですが、なんとなくきっかけを掴めないままでいました。
そんな頃、会社のレクリエーションでファーストピッチのピッチャーを努め、パームでおじさん相手に三振を取った事からソフトボールをする楽しさを知って、ソフトボールチームに入ろうと思っていた所に、きっかけがあった訳です。
ソフトボールそのものは母が高校時代に都大会で活躍した元選手だったのもあり、下手ですが少しぐらいはやったことがありましたけど、本格的にやった事など皆無です。
野球やアイスホッケー、アメフトなど様々な試合を見てきましたが、私は試合を彩る鮮やかな音楽がとても好きでした。試合の興奮を更に増してくれて、試合会場に居る事自体を幸せにしてくれたからでしょう。
私は「こんな環境で試合ができたら、少しぐらい辛い練習だって耐えられる…」と憧れていたので、上手いとか下手と言う時限を超越して、飛びつくように始める事になりました。
スローピッチはそう言う「野球が下手」な人ですら受け入れてくれるスポーツなんです。始めた頃から数え切れないほど思い出したくもないエラーをしたり、みっともない三振をする毎日でしたが、いろいろな人に指導してもらい、面倒を見てもらっているうちに少しずつ上達していくのを自分でも感じました。キャッチボールすらロクにできなかったところから考えれば、とんでもない進歩だとも思えます。
もちろんヘタクソなのは今でも変わりませんが、「どうせやるならもっと楽しく、怪我をせずにやりたい」と思う気持ちから、色々と考えたりしてきた事を現時点でまとめて連載にしてもらうこととなりました。
専門的な知識も無くまだまだ修行中の身ですので、内容に関しては長い目で見ていただければ幸いです。
どうか、よろしくお付き合い下さい。
2007年3月
東京ボルメッツ・トレーニングアシスタント 志村俊明
志村俊明(略歴)
1980年東京生まれ。私立高校の運輸科を卒業し、大手私鉄に就職。現在も乗務員として勤務。
03年に独立リーグMLSのセインツ入団し、04年から東京ボルメッツにも掛け持ちで在籍。
04年から行われているMLSスプリングトレーニングのウォーミングアップに基づき、東京ボルメッツで試合前のウォーミングアップの号令やメニューを「見よう見まね」で担当し始め、怪我の防止・パフォーマンスアップに貢献し、2年連続優勝に陰ながら貢献。
05年のミャンマーナショナルチームとの緒戦で先発を務めた他、掛け持ち先のMLSでは3年連続で最多勝を受賞。
投手の他にも捕手で出場する事も。 |
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